夜明けに飛ぶ・センを切るカタナ

tuijimatu2 やっと書ける話

どうも最近、夢の中で出雲の空を飛んでいるようです。

明るい時間帯に飛んでることもあれば、3回目は夜明け頃の薄明るい時間でした。

さすがに3回も飛んでいいものかと、ちょっと考えてしまったけど、電車の始発もまだで移動手段がないので、まあいいかなと思いました。

たぶん水色のあたりを飛んでるみたいです。

izumoheiya

地元の方々にとっては何てことない日常の風景でしょうけど、バタデンから見るこの辺の風景がこの上なく好きです。全体的には出雲平野と呼ばれているところです。

私の記憶に残っているのは、のどかな田園風景に点在する家々と特徴的な形の築地松。

tsuijimatu

築地松は現在は冬の季節風を防ぐためだとか。昔は斐伊川の洪水から家を守るため土地を嵩上げして、その地盤の強度を増すために木を植えたそうです。

今も変わらずあるでしょうか。景色はどのように変わっているのでしょう。

特になんの目的もなく、ゆっくりと気持ちよく飛んで、満足して帰ってくる感じです。

次の出雲行きがますます楽しみになってきます。

それからつい先日、「これ読まな」とザワつく本を見つけまして、読み始めました。

「藍の書」藍と書いてアオと読みます。初版2019年。辻麻里子著。

この本、本当は未完で、著者は2017年に肉体を離れています。これは麻里子さんの遺言書だと思います。世に出してくださった出版元とご友人に感謝申し上げます。

読み始めて突如思い出したことがありました。

ずいぶんと昔のことで、すっかり忘れていたのに、私の記憶庫から瞬間移動してきました。

それは私が30代のはじめ頃だったと思います。

当時まったく地に足がついてなくて、しかしその自覚はなく、社会で働いて子育てすることがとてもしんどかったんです。

他人のエネルギーを餌に生きてる人たちの中に、自分から飛び込んで行ってました。毎日、エネルギーを奪う線が刺さって帰宅していました。

ほとんど後ろから刺してきて、太いのやら細いのやら複数あると、重いのを通り越して痛い苦しい状態でした。毎日ボロボロに疲弊していました。

自然の中に行くとかなり回復しましたが、毎日そんなことやってる余裕はありません。

そんなある晩、夢の中で私に日本刀を差し出す存在がいたのです。

『これを使え』

『これでセンを切れ』

見ると持つところが黒い他は、なんの装飾もないものでした。

katana

握って持ち上げようとしますが、とても片手では持ち上げられないほど重かったのです。

「こんな重たいもん、使えへんわ」

そうつぶやいてみると、目の前で黒い刀が揺らぎ始めました。そして程なく、持つところが赤い、細くて短い目の刀になりました。

『これではどうか』

今度は握りも細く、普通に持ち上げることができました。上の写真のようなベージュのひし形はなく、全体が深い赤色でした。

『使うときだけ出せ。元はお前のだ』

そう言いながら、姿のない声の主は消えました。

変にリアルな夢で、その後も握った感触や重さが残っていました。

最初に使う時、どうしていいのかわからず、自分の腕では背中に届かないので、もうひとりの自分にやってもらいました。イメージの世界でのことです。

力んで上から振り下ろすと、勢いで自分の足まで切ってしまいそうでした。危ないので、フッと当てるようにすると、それだけできれいに切れてくれました。

気のせいかもしれませんが、それでずいぶんと楽になったのです。

ある時、赤い刀を呼び出すときに名前で呼びたいなと思いました。「名前なんていうの?」と聞くと

『ゆずりは』

と浮かんできました。ゆずりはって、なんやろ?

調べてみると「楪」と書く木でした。新しい葉っぱが出てから、古い葉っぱが落ちるから、譲る葉でユズリハと言うそうです。

yuzuriha

この木、小さい頃のお友達の近所にありました。葉の根本が赤いんです。よく葉っぱをもらって、遊びました。

調べていた時に、諭鶴羽山という淡路島の山もヒットしました。

こちらは「ゆずるは」と読むそうです。

yuzuruhayama

後年、もう使わなくなった赤い刀「ゆずりは」をどうしたものかと考えることがありました。

その時、この山のことを思い出し、お山に預かってもらうことにしました。

本当に頼りになる子で、何度も私を助けてくれました。諭鶴羽山にお願いして、感謝で包んで送りました。

すっかり忘れていましたが、今もお山のどこかでゆっくり休んでいることと思います。

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