節子は坂の途中に建つ家で暮らしていました。
坂道沿いに家が連なる、住宅が集中した地域のようです。
家の間取り(うろ覚え)
敷地はそう大きくもなく、カラカラと大きな音を立てる引戸の門を開けると、ほんの数メートル先が玄関でした。
玄関は少し横長で、右奥に台所に通じる戸があります。
真ん中は中庭側の縁側(廊下?)へ続きます。
左手は座敷に続く縁側で、小さな庭に面しています。
昨日書きましたように、中庭を囲んで各部屋があります。
台所の隣が居間です。ここでご飯を食べていました。
隣が節子の部屋、次が箪笥部屋のような板間の部屋、その次が父親の部屋でした。
中庭を挟んで向かい側に、おばあさんの部屋、洗面の流し台、トイレ、橋を渡って行くような浴室があったと思います。このあたり、あまりよく思い出せません。
中庭の突き当りには小さな木戸があり、裏の小道に出ることができました。
二階があったかどうかはわかりません。
まわりの人たち
節子の父親は何か事業をしているようでした。いつも固い表情で、近寄りがたい雰囲気の人です。節子とはほとんど話しませんでした。
母親は節子が赤ん坊の時に、病気で亡くなったそうです。おばあさんにそう聞かされました。
おばあさんは節子が中学生ぐらいまではまだ元気で、使い込まれたお針箱を前に、いつも縫い物をしていました。そばに座って他愛ないおしゃべりをしていました。
ほぼ寝たきりになったおばあさんのお世話は、お手伝いのおばさんがしてくれました。明るくて大きな声で笑うので、どこにいるのかすぐにわかりました。
その他の家事のほとんどは、近所に住む若いお姉さんがやってくれました。あやさんという、おおよそ20代前半の女性です。
朝ごはん前から、夕食の片付けまで、洗濯掃除もやってもらってました。途中午後に1度自宅に帰っていきました。
あやさんは土曜日のお昼ご飯に、よく黄色いカレーを作ってくれました。薄くて柔らかいお肉が少し入っていて、今のカレーよりうんと黄色いカレーです。
私はこれが大好きでした。何度か似たものを作ってみましたが、やはり何か違いました。
せっちゃんと呼んでくれる、お姉さんのようなあやさんが大好きでした。
節子は県立高校に通っていました。見せてくれた「県」の字が昔の字になっていました。
「先生」はその高校で教師をしていました。節子が想いを寄せた男性でした。
寡黙でいつもどこか寂しそうな人でしたが、心惹かれました。
節子もコロコロと笑うことはありませんでした。似た何かがあったのかもしれません。
先生には奥さんがいたのですが、ふたりは校外でひっそりと会うようになっていました。
とはいっても、先生が読んだ本の話を聞いたり、おすすめの本や、星座のお話が大半でした。
先生の自転車に二人乗りで、山の方まで行ったこともありました。汗で濡れていく白い半袖シャツを、後ろから見ている私。少し高いところまで行くと、遠くに小さく海が見えました。ふたり並んで、きらきら光る夏の海を眺めていました。
先生といると家にいるより体の力が抜けました。心が温かくなりました。ただ無邪気にこの日々がずっと続くと信じていました。
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