前回のブログで少し触れましたが、大病院のダメージを軽減できたのは、父方の祖母の陰徳のおかげだと思います。
どんなことがあったのかを書いておきます。
父方の祖母について
祖母・藤さん(仮名)については、以前にいくつか書いています。もしよろしければ、お読みいただけると嬉しいです。
藤さんはいつからか脚が不自由になったらしく、松葉杖で立つのがやっとでした。家の中では正座の姿勢のまま拳を畳に立てて、ずりずりと移動していました。
いつも静かで、声を荒げたことはありません。手のひらに載るような、小さな仏教の本を繰り返し読んでいました。お気に入りの2冊は角がボロボロとめくれ上がり、文字が擦れてかすれていました。
藤さん存命中は、時々お坊さんがスクーターでやってきました。整った顔立ちの、いい声で経を読む人でした。出されたお茶菓子を懐紙に包んで、いつも私にくれました。
そんな祖母を見て育ったからか、仏教系の保育園に通っていた影響かわかりませんが、保育園で一番好きな行事は「花まつり」でした。また散華で撒かれる蓮の花びらの紙を、当時の大事なもの入れに入れていました。
やがて藤さんは弱り、床につくことが多くなり、認知症も出てくるようになりました。わたしが6、7歳の頃のことです。
すると私の母親は、藤さんにも虐待するようになりました。この世の地獄でした。そして夏の暑い日、藤さんはあの世へと旅立っていきました。
このことで後に、ずいぶんと自分を責めました。あの時、なにか自分にできることがあったのではないかと。数え切れないぐらい、おばあちゃんに「ごめんなさい」を言いました。
今は、父方の祖母にも祖父にも、祖母の死のあと、ほどなく亡くなった父にも、「守られていた」と感じます。みんな命がけで守ってくれたんだと。感謝しかありません。みんなまぶしく輝く光です。
蓮の花を使わせていただく
初回の大病院で大ダメージをくらってしまい、次週の通院をなんとかせねばと思っていました。
いわゆるライトボディとかエネルギー体と呼ばれるところに、何もぶっ刺さらないように守りたいのです。
そんなの気のせいでしょ?と、できるものなら思いたいけど、そうではないんです。とても消耗しますし、体の症状として出ます。動悸や痛み、筋肉の過緊張など出てきます。
とはいえ、昔みたいに弾き返すだけのガードだと、逆に目立つように感じます。少し攻撃的でもありますし。どうしたもんかと思っていると、フッとあるものが浮かんできました。
(これは…蓮の花?)
淡いピンクの透き通るように美しい蓮の花です。これは、覚えてる。鞍馬寺でいただいた蓮の花だ。物質としては見えないのですが。
ずいぶんと昔、こんなことがありました。鞍馬寺の本殿金堂にいると、私のいる方に蓮の花が飛んでくるのです。丸みのある開き切る前の美しい花です。それが放物線を描いてポーン、ポーンと飛んできます。
(あれ?もしかして私が邪魔してるんかな?)
そう思い、少し横に移動しました。すると花もこちらへ飛んでくるようになりました。おかしいなぁ、何やろ?花が飛び出してくる方向は、千手観音様がいらっしゃったような記憶があります。昔のことなので、もしかしたら記憶違いかもしれませんが。
(ひょっとして私に飛ばしてくれてるんかな?)
そう思った時、「持って帰りなさい」といった内容が伝わってきました。何かわけがわからないまま、たくさんいただいて帰りました。
その年のお盆前、当時住んでいた部屋の玄関ドアの外に、道に迷っている存在さんたちが次々と集まってくる、という珍事がありました。どうやら帰り方がわからないらしく、不安な様子でした。時々、ドアをコツコツ叩いたり、前をウロウロしていました。赤いランドセルに黄色い帽子の1年生ぐらいの女の子はいつもいました。
集合されても、こっちだって困ります。どうしたもんかと思案している時に、鞍馬寺でもらった蓮の花のことを思い出しました。そうや、蓮の花に乗って帰れるかな?やってみよ。
ドアの外に蓮の花をいっぱい出して、
「みんな、これに乗って帰り」
と言ってみました。なんとなく通じたみたいで、一人また一人と花につかまって飛んでいきました。(誰も乗らないし)
その蓮の花を今回も使いなさいということのようです。そして同時に某寺の文殊菩薩像が浮かびました。大好きな文殊菩薩様です。左手に持っている大きな蓮のつぼみを渡していただきました。
それではと、千手観音様の蓮の花を蓮座のようにイメージして、その上に文殊菩薩様のつぼみを置き、つぼみの中に入ることにしてみました。
蓮座の部分はもっと平べったくて広いイメージです。
中の居心地が悪いはずありません。
この良い居心地のまま、2回目の大病院へ行きました。その結果、1回目がダメージ9だとすると、2回目はダメージ4ぐらいでした。さらに3回目はダメージ3になりました。
見える世界が違うというのが一番しっくりくる表現だと思います。
自分がどんな周波数でいるか。それがどれだけ重要か、あらためて確認することができました。
とてもありがたく嬉しい出来事でした。
しかし、普段まったく忘れきっていた鞍馬寺の蓮花や、文殊菩薩様のつぼみが突然出てきたのか不思議でした。
なんでかなぁ〜とぼんやり思っているとき、「陰徳」と浮かんできました。
あ!
神経にピシッと電気が走るように一気につながりました。
(おばあちゃんの…陰徳?)
(そうか!鞍馬寺で蓮花をいただいたのも、某寺に導かれたのも、おばあちゃんの陰徳のおかげやったんや。なんちゅーこっちゃ!)
おばあちゃんに「ありがとう」と言うと、おばあちゃんからも「ありがとう」と伝えてくれました。おばあちゃんは全部知ってるみたいです。
それから、こう言ってくれました。
「おばあちゃんは八十二まで生きたんえ。すみれはんも、もっと生きなはれ」
涙が出ました。おばあちゃん、ありがとう。
この物質世界と見えない世界の境目が、更になくなっていく今日この頃です。
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