死は穢れか

kamisama やっと書ける話

需要はないと思われますが、般若心経のブログに出てきた、私のPC壁紙です。

記憶があやしいところは、これを頼りに小さな声で唱えています。

なぜか元の画像に初めの一文がありませんでした。そこは付け加えるようにしています。

pc

このロースペのクロームブックでブログを書いています。

両サイドには、スマホの壁紙にしている画像をあしらってみました。スマホでは横スクロールできるようになってます。こんなの持ってる人が近くにいたら、若干引きます。他人事か。

さて、先日お盆関連のものを読んでいたときに、神社の忌中・喪中の決まりが目に止まりました。

神社では家族が亡くなってから50日間を忌中とし、1年間を喪中とする。

なお忌中は鳥居をくぐってはならない。

その理由。

身近な人の死で、周りの人が穢れるから。

死は穢れなのでしょうか。またさらに

「穢れ」は「気枯れ」に通じ、悲しみで気が枯れている人は参拝にふさわしくない。

のだそうです。

あのちょっとこれ、神様がそうおっしゃったのでしょうか。誰かが後付けしたのではありませんか。

人の死は穢れていますか。誰でもいつか死にます。気は別の理由でも枯れます。何らかの辛さを抱えて、気が落ちている人は行ってはならないのですか。すると、気が満ちている人しか参拝できません。今の時代、そういう人がどのぐらいいるのでしょう。

さすれば、鳥居の意義は?

手水舎、祓戸社は意味を成さぬのか。

ずいぶんと昔のことです。

人間の屑、汚い、生きてるだけで世間様に迷惑だと教育されてきた人は、畏れ多くて神社などとても行けませんでした。なんせ生まれつき穢れているんですから。

初詣も、自分のような者が神様の前に立ってはいけないと信じていました。怖くて震えが来て、拝殿のお鈴の前に立つことができません。いつも遠くから参拝していました。

子供が生まれてから、母親がこれではいけないと思い、少しずつ少しずつビビり散らしながら、まともに参拝できる自分になろうと努力しました。

10年ほどの時間が流れたある時、どうしても遠くにある神社へ行きたくなったのです。

明確な理由もなく、ただ行きたい。日帰りできないところでしたので、宿泊費、交通費だけでも、当時の私には負担でした。でも御祈祷を受けたい。それまで御祈祷をお願いしたことなどありませんでした。少額の、それでもできる限りの御礼を持って、その神社へ向かいました。

kaidan

到着したらひとまず、いつも通りの参拝を済ませ、時間まで横のお庭を歩きました。

そこにしばらくいると、今までにない、とても強いエネルギー酔いを感じました。頭がグワングワンして、少し気持ち悪くなるほどでした。

やがて時間になり、拝殿に上がらせていただくと、若い男女2人のカップルがいらっしゃいました。ご挨拶をして、その方たちの斜め後ろに座りました。広い拝殿に2組だけで、ゆったりとした間隔を取ることができました。2台のストーブがオレンジの光を放っています。

神職様の祝詞が始まるとすぐ、開けたままの出入り口から突風が吹き込んできました。それまで強い風が吹いていたわけでもなく、突然ものすごい風が吹き込んできたのです。

それは拝殿の壁がガタガタ音を立てて揺れるほど。ストーブの火が、ストーブの2倍の高さの炎を吹き上げました。

カップルの女性が驚いてキャッと声を上げ、神職様も思わず振り返るほどの荒れ様でした。

拝殿が飛ばされないかとヒヤヒヤしてるうちに、ご祈祷は終わりました。その頃には風はマシになり、神職様がカップルに授与品を手渡されると、彼らは拝殿を後にしました。

次に私のところへ来られた神職様は、明らかにさっきよりも大量の物を抱えてらっしゃいました。

その大量の物を私の前に置くと、そうそうあれも、と取りに戻って1つ追加までしてくださいました。

エネルギー酔いでボケボケの頭で、何度も「ありがとうございました」と言うことしかできず、私も神社を出ました。

後で中身を見てみると、良い香りの杉板の御札や、落雁、御守り、確かお塩も。あと杉のとは別に御札が何枚も入っていました。

ささやかな奉納しかできなかったのに、申し訳ないぐらいたくさんありました。あの突風と関係あるのでしょうか。業の深い人が来たと感じられたのかもしれません。

とにかく感謝しかなく、この時がようやくゼロ地点になったのだと思います。そこから少しずつ変わっていったように思います。

御札の御力は明らかでした。ずいぶんと助けていただきました。

当時の私は多くのものを背負っていました。とても重かったと思います。そんな私を、もし神様が拒否なさるのであれば、何らかのアクシデントが起こり、神社まで辿り着けなかったでしょう。

「気が枯れてる人は来ないで」と神様がおっしゃったと思いますか。

神様と呼ばれる存在の方々は、私達が神社で願いを掛けるでしょ?すると

「あなたの願いはわかった。その代わりと言ってはナンだが、今よりもっと幸せになりなさい

そういう変な交換条件を出してくるんです。

逆説的だけど、今ある幸せに気づき、自分の本当の幸せが何かに気づくと、自ずと叶うよ。と言ってると思います。

参拝の作法は大事(意味がある)だけど、臆せずご挨拶に行けばいいと感じます。人が持ち込んだモノで、神様の本質が穢れを受けるとか、ありますか?

気の良い神社に行くようにしたいものです。

kikyou

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