KIYOMASA

kyoto2 やっと書ける話

1月9日の夜に夢を見ました。

月明かりのない青い夜、目の前に八坂神社の御本殿の西側面が見えます。

熱くも寒くもない静かな夜です。私は少し歩いて、南西の角から御本殿を見ます。

次に北西の角まで歩いて、御本殿後ろの通路が視界に入る瞬間で、夢の記憶が途絶えています。

朝目覚めると、少し疲れていてだるく感じました。その日は八坂神社のえべっさんの練り歩きを見に行く予定でしたが、やめておきました。

翌1月10日。朝起きる前に、短い音の夢を見ました。

KI YO MA SA

確かにそう聞こえました。

半分寝ながら頭の中で文字に組み立ててみます。

キヨマサ、、、 清正?

日本酒? ちがうよなぁ〜

歴史上の人物にそういう人いてたような気がするけど?

kiyomasa

起きてしばらくすると忘れてしまうので、すぐスマホにメモして後で調べてみました。

すると「肥後熊本藩藩主 加藤清正」という人物がヒットしました。

熊本の人がなんで出てきた?

以前にも書いてますが、私は日本史世界史ともに興味がなく、大河ドラマすら見たことありません。この方がどんな方なのか、まったく知りませんでした。褒められたことではありませんが。

加藤清正さんは豊臣秀吉の家臣だそうです。秀吉亡き後は家康に仕えました。武将としてだけでなく、築城、治水、農業開発、財務方面でも才を発揮したとか。

京都との関係があるのか、さらに見ていくと、慶長の伏見大地震の時、崩落した伏見城にいた秀吉を助けに馳せ参じた人だと出てくる。但し、その話はのちの創作で、地震時清正は大坂にいたらしい。

伏見城は場所を変え3度築城されている。地震で崩落した伏見城は最初の城である。秀吉が隠居生活を送るための城で、風光明媚な大池の眺望を楽しめる場所に築かれた。その名を指月伏見城と言った。

大池とは、巨椋(おぐら)池だという。明治以前は大池と呼んでいたそうだ。

えっ?巨椋池?

あの巨椋池?複数の河川の合流地にあった遊水池の?池と付くがサイズは諏訪湖ぐらい大きくて、漁が盛んで、夏には船に乗って蓮の花を愛でた、あの巨椋池?

hasuike

何より私は京の四神相応の南、朱雀は巨椋池(大池)だと思っています。

でも、もう大池はありません。度重なる水害を防ぐため、何度もの治水工事で完全に川と切り離されました。水の流れがなくなると池は淀み終わります。

昭和になり、とうとう干拓という手段が取られました。埋め立てではなく、水を抜きまくるのです。地下から水が湧いていたわけではないから出来たのだと思います。今は広大な農地になっています。

水の流れが止まった時点で、朱雀としての役目も終わったと思っています。

on-map

緑の矢印が指すところ、周囲と少し色が違っている場所が元巨椋池です。

水色の矢印が、御所のある京都御苑です。

比べてみると池の大きさがよくわかります。御苑も結構広いんですけどね。

外は冷たい雨が降っていました。水のない巨椋池と、夢で見た京の水盤。水つながりに何か引っかかるものがあって、京都まで行ってみることにしました。

今さら元巨椋池に行くのは違うと感じるし、行くならスイッチのあるところと、何度も浮かんで見えるあの場所です。余裕があれば、祇園さんの初えびすにも寄れたらいいな。

そんなことを思って出掛けていきました。

(次回につづく)

さっきふと思い出しましたが、大晦日の夢のこれ

hibachi

巨椋池のメタファーだったのかもしれません。

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