40代の中頃だったと思います。膝を激しく捻挫して、痛みで歩くのも辛い時期がありました。
それでも毎日仕事に行っていました。今思えば、自分の体を大切していませんでした。
やっぱりちゃんと養生しないと良くならないんですよね。1年近くたっても膝は曲がらないし、怪我した方の脚はげっそりと筋肉が落ちてしまいました。
たまたま事情を知った知り合いが、ヒーラーさんを紹介してくれたのです。米国在住の日本の方で、ちょうど一時帰国されているということでした。
私は施術を受けました。膝をメインに全身を調整してくれたみたいです。手を当ててるだけに見えるんですけど、その場で膝が曲がるようになりました。数日後にはなんとか正座もできるようになったのです。
しゃべりながら施術をしていると、なんでかは忘れましたが、私の名前の話になりました。
「元夫の姓□□のままなんです〜」
ヒーラーさん、苗字のエネルギーをちょっと見て
「うーん、何もないね。元はなんていうの?」
私が○○です、と言うとまた見て
「こっちの方が断然いいよ。つながるものがある。戻したら?」
「あ、でも離婚の時に選んだから、変えられないんです」
「うん、以前はね。変えられなかった。今は変えられるようになったよ」
「そうなんですか、知らなかった。考えてみます」
「それから神社やってたでしょ?神社が見えるね」
「記録には残ってないけど、何となくそんな気が…ボソボソ」
ほどなく家庭裁判所に申し立てをして、旧姓に戻ることができました。
旧姓に戻ると、今までまったく気にもしなかった〇〇家の、昔のことが知りたくなりました。
しかし聞く人が誰もいないのです。当時私の母親はまだ存命でしたが、近寄りたくないし、自分に都合のいいことしか言わない人なので聞くだけ無駄でした。
あとの人達は全員もういません。
母親が〇〇家に嫁いでから約10年間で、父の兄弟①、祖父、弟、祖母、父が次々と亡くなりました。父の兄弟②は失踪、兄弟③は事業失敗で夜逃げして(母親談)行方不明でしたが、どちらも亡くなっていました。
9才から私と、母親と、ふたりだけになってしまいました。地獄ですw
仕方がないので役所で除籍簿を取れるだけ取りました。窓口の方によると、制度が変わって大正の初めより以前のものは、もうないということでした。曽祖父、曾祖母の誕生からこっちの分しかありませんでした。
古い手書きの除籍簿です。改正のたびに手書きで書き写されてきたのでしょう。癖の強い字は読むのも困難でした。
祖父の除籍簿を見ました。祖父は太郎さんという名前だと、はじめて知りました。私が赤ん坊のころ亡くなったので、記憶はありません。
仏壇の上に写真は掛けてあったので、なんとなく覚えています。父に似た顔で笑っていました。
除籍簿を見ていた私は、ふと違和感を感じます。おばあちゃんが祖父の「妹」になってる。
えっ?どういうこと?
もっとよく読んでみると、祖父は20才ぐらいで祖母の兄として養子に来ていました。事実上は夫婦ですが、戸籍は最後まで兄妹のままだったようです。ちょっとびっくりしました。昔は親戚の子供を養子にもらうことが多かった、と聞いたことがあります。もらう、という言い方は嫌ですけどね。
では祖父は元々どこの人なのかな?
それはすぐに見つかりました。
祖父が養子に来る前の名前。
「多賀 太郎」
それを見た瞬間、ギュッと心臓を掴まれたようでした。
あの夢で、古い木が、私を呼んだ名前
「多賀 すみれ」
頭の中で線香花火が弾けます。
これは偶然?それとも。
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