以前は京都に住んでいまして、、、そうですねぇ、三十代前半ぐらいだったと思います。
休みの日にふらっと鉄道に乗るのが好きだったんですね。
お手軽なところで、一日乗車券で嵐電に乗って、特に目的もなく気になる駅で降りるんです。嵐電(らんでん)というのは京福電気鉄道の嵐山線・北野線の愛称です。駅の近くのパン屋さんをのぞいたり、ホームで写真を撮ったり、そういうのが楽しかったのです。
嵐電は主に地元住民の足ですので、買い物に行くおっちゃんおばちゃんや、朝夕は通勤通学の人が多く、のんびりした雰囲気でした。ですが今はもうオーバーツーリズムが盛大にオーバーしていると思います。
ある時、蚕ノ社駅で降りて、珍しい鳥居のある神社へ行くことにしました。柱が三角になってる鳥居だそうです。
周りの人たちはみんな「かいこのやしろ」としか呼んでいなかったので、私もそこの神社は蚕ノ社という名称なんだと思っていました。でも本来は木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社なのだそうです。

上の画像では水がありませんが、鳥居は池の中に立っています。
以前は水がありました。今は祭事などの時だけ水を入れるみたいです。
参拝したあと、誰もいない境内を歩いていたら、突然目の前にドサッと大きな枝が落ちてきました。
それは幹の直径が7〜8cmぐらい、長さが120〜130cmほどの太い枝でした。
先には細い枝もついていて、それが私のたった1mほど前に降ってきたのです。
頭に当たってたら確実に怪我したでしょう。

「うそ…やろ!?」
枝を観察するために、恐る恐る近寄ってよく見てみました。
先の方の葉っぱはしおれていたけど、枝の断面は折れてからまだそんなに経ってない感じがしました。
なんでこんなのが落ちてくるの?なんとなく、警告や拒絶の文字が浮かんできます。
「あれ?なんか悪い事したかな?それとも嫌われてる?」
なんか嫌われてるみたいなので、逃げるように神社を出ました。
そのころは太秦にある蚕ノ社と聞いても、無知が過ぎてピンとも何とも来ず、スルーしていました。
それからもう何十年と経ちますが、参拝に訪れることはありません。
しかし、その数年後にまた同じようなことが起こったのです。
以前の記事『死は穢れか』の後半部分にある神社へ行ったときのことでした。
そこでは強烈なエネルギー酔いと、炎吹き出すストーブと突風という珍事がありました。
以前は書かなかったのですが、実はご祈祷の前にお庭を散歩してた時にも、太い枝が目の前に落ちてきたのでした。
蚕ノ社よりも一回り小さいサイズでしたが、当たったら痛いでしょう。
エネルギー酔いでグラグラの頭で「なんか良く似たことが前にあったような、なかったような…?」と考えました。でもその後ご祈祷をお願いしているので、帰るわけには行きません。
その神社様の御祭神はスサノオノミコトでした。
最近、あの時起こったことすべてを総合的に考えてみたら、嫌われてた、または怒られていたかもしれないと思うに至りました。いただいた御札は素晴らしかったです。念の為。
昨年、出雲口伝の存在を知りました。その内容がすべて真実とは思いませんが、どうしても私は古代出雲人の目で物事を見る傾向があるように思います。

(↑徐福像)
出雲口伝では徐福は外国から船で、大陸の子供たちを大勢つれてやってきます。日本で自分の国を作る野望があったのです。
ある時、徐福は子供たちに命令して出雲王国の主王・副王をだまし、洞窟に閉じ込めて枯死させます。
穏やかに暮らしていた出雲の人たちは嘆き悲しみました。
王の死が徐福らの仕業だと知った人々は、徐福や海童と呼ばれた子供たちに怒りを向けます。
身の危険を感じたのか、徐福は海童たちを置いて海外逃亡をはかります。
出雲口伝では徐福は日本風の名としてホアカリと名乗ります。
また徐福=ホアカリ=ニギハヤヒ=スサノオ とも書かれています。
残された海童はのちの秦氏になったとか。
ここで誤解を恐れず白状します。私は子供の頃から「秦◯さん」や「物部さん」がなぜか苦手でした。個人に嫌なところがあるわけではなく、明確な理由はわからないけど、なぜかものすごく警戒モードになってしまうのです。情けないことに、今もややそれを引きずってるみたいです。
でもそれは、もしかしたらお互い様に感じてたのかもしれないな、と最近思います。
YouTubeで出雲口伝と古事記・日本書紀を絡めて解説してくださる動画があります。
作者の誠実なお人柄が伝わる動画だと思います。
ご興味がありましたら一度見てみてください。
短い目のをもうひとつ
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