過去へ行く

doors やっと書ける話

前回、一つの可能性としての未来について書きました。今日は過去です。

便宜上、過去へ行くというタイトルになっていますが実はちょっと違います。

  • タイムマシンは使わない
  • タイムワープもしない
  • そもそも行かない

そう、行かないんです。ここへ引っ張り出してくるんです。

誕生してからのすべての記憶が個人データ空間にあって、いつでも好きなものを(嫌なことも)選び出して見ることができる。私はそんなふうに感じています。

時にはマイデータ空間を突破して、曾祖母のところや自分の過去生、全然知らない誰かのところへ行くこともあります。そういうのは無意識が幅をきかせる睡眠中や、深い瞑想中しか無理かもしれません。

ずっと前、複雑性PTSDをこじらせていたころ、セラピーのひとつとして「子供のころの自分を抱きしめてあげましょう」というグループワークがありました。

言葉で誘導してくれるのですが、まったくできませんでした。寂しかったねと抱きしめました、感動しましたと涙を流す周りの人達にドン引きです。

私が見たのは緑色に変色して腐臭を放つ、子供みたいな物体が地面に崩れ落ちている光景でした。今考えると、こっちのほうがドン引きかもしれません。どんな状況や?

崩壊してしまいそうで、抱きしめるなんてとても無理で、石の壁にもたれかけて座らせるのが精一杯でした。

このワークも一種の「過去へ行く」になるのだと思います。その何年かあと、ふと子供のころに行ってみようと思いつきました。まあ、実際には過去を呼び出しているんですけどね。

見えてきたのはとても嫌な雰囲気のシーンでした。小さい私は体をこわばらせています。母親は何やら企んでいるようです。

母親は小さい私を掴む時、汚いゴミをつまむように爪を立てて触りました。この時も同じように手を伸ばしてきたのです。

とっさに2人の間に割って入り、母親の手を叩き落し、もう片方の腕で小さい私を引き寄せました。

ちょっと怯んだ母親にはっきり言ったのです。

「この子に触るな」

「二度と触るな。触ったら許さない」

小さな私は老人のように疲れ果てていました。この時以降、ここまで過去に介入することはありません。

kako

さて、リアル子供時代の私は、その後どうなったでしょうか。

小さめのマンホールに落とされる案件を最後に、身体的虐待はなくなりました。というか、別の種類の支配・虐待に完全シフトしました。

これ以上やって表沙汰になるとマズイと思ったのか、私が成長して腕力では負ける可能性を危惧したのかはわかりません。

もしかしたら「触るな」と言い渡した(ほぼ脅し)効果があったのかもしれません。

戦場で眠る兵士のような毎日でしたので、少しだけ楽になった記憶があります。当時は虐待という言葉がなかったと思います。今は時代が変わりましたので、扁桃体がバグを起こす前に抜け出せるように、強く願います。

自分の過去の記憶データは、割とたやすく取り出せます。思い出すだけで、今ここに出てくるのですから。楽しかった大切な思い出など、そうではありませんか。

個人的には、最近はもう過去が気にならなくなってきました。認知症…かもですが。

過去にいくらエネルギーを注いでも、変わるところはほんの少しです。その分を今に注げば、もっと大きな変化を体験できます。物質に囲まれて生きる私達は、その変化がわかりやすいのかもしれません。

waterfall

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