気功の最中、半分寝ていたのかもしれません。
なんにも考えてないと寝てしまうので、ほら、よだれとか出たらマズイでしょ?その時は、心の中で唱えていました。
アメノミナカヌシ タカミムスヒ カミムスヒ クニノトコタチ…
それでは参りましょ。
夢の中で私は、乾いた土の道に立っていた。
「どこやここ?」
そう思った瞬間、10メートルほど先の地面が寄せる波のように持ち上がった。
土壁のごとくせり上がった道路は頂点で爆裂し左右に飛び散った。
すると向こうからすぐ次の波がやってきて、またせり上がり、砕け飛び、また次の波がやってくるの繰り返しだった。
しかもすごいスピードでこちらへ押し寄せてくる。だけど私には小石ひとつ当たらない。
やがて爆裂する土塊の先に何か見えてきた。
それは見慣れた風景、八坂神社の西門だった。
(↑google mapからキャプチャ)
ということは、爆裂してたのは四条通?にしては道幅が狭かったが。
これはどういうことなのか?私は一歩も前に進んでいない。神社がとんでもない破壊力でここへやってきた。
楼門の前に立つとしんと静かになった。
もやっとした気配を感じる。これはどっちだ?牛頭天王か?スサノオか?
ちょっとの間、観察していると、
牛頭天王>スサノオ だと思った。
祇園社の下、龍のいるところから京都の下の水盤へ、水が繋がっている。
なぜか上から下まで、すべてのレイヤーが同時に見える。
『日本列島はにほん人がいるから成り立つ。土地(地球)意識と八百万の神々と人々の意識が、共鳴共存して成り立っている。もし、にほん人がいなくなったら、そこはもはや日本ではなくなる』
ふいに松尾の古神が現れる。
『二百年の時をかけて完成する自然の植生。にほん人がいなくなれば、瞬く間に朽ち果てるであろう。
五十年山が育てた豊かな水も枯れ果てる。
日本が日本でなくなったとき、地球は錆の星になる』
我々がいつもともにいる。忘れるな。
スマホにメモしてたのはここまでです。
少し補足します。
八坂神社と改称されたのは明治になってからです。それまでは祇園感神院とか感神院祇園社とか呼ばれていたそうです。うちのおばあちゃんらは八坂はんではなく、祇園さんと呼んでいました。
当時の主祭神はスサノオではなく牛頭天王です。祇園精舎から長い旅の末、京の地へやって来られた神だそうです。ご専門は疫病封じ。人為的な疫病退散にも、願えばご協力いただけるはずです。
八坂神社の御本殿は南を向いていて、正門は南にあります。地図を南にまっすぐたどっていけば、伏見稲荷大社に行き当たります。
西門からずどーんと四条通を突き当たりまで行くと、松尾大社があります。
伏見稲荷と松尾大社。今は秦氏の兄弟の色濃い神社です。しかし、秦が来る前は…という話は長くややこしくなるのでやめときます。
素人目に見ても、気の通りの良さそうなのは西楼門ですよね。ほぼまっすぐ突き当りまで開けていているのですから。
西楼門から入って、ほぼ正面には疫神社が鎮座します。東の突き当りから、京の街と人々を見守っています。
個人的に、京都はもっと水を大切にしたほうが良いように思います。水に想いをかけることで、土地が目覚め、住む人々と共鳴し運も上がるんじゃないかなぁと、思ってしまうのです。
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