そういえば松江の美保神社も予定から外れたところです。事代主ゆかりの祭が古式に則り、粛々と行われているそうです。なんとも複雑な気持ちになるお祭りで…
公共交通利用の身には日程的に厳しく、帰りのスーパーやくもから美保関方面を眺めるだけにしました。
見えない婦人会
さて、旅をご一緒した婦人会の方について書いてみようと思います。
この先すべて、私の非常に個人的な感覚で捉えたことになります。証明はできませんし、ファンタジーだと思って読んでいただけたら幸いです。お読みいただいた方の感じ方を優先してください。また、現在の正統な御祭神を信仰されている方々に対し、何の意図もございません。
お一人目は伊勢旅でお会いした、内宮・月讀宮のイザナミさま的エネルギーです。
お二人目は外宮・多賀宮の掴みどころのない、大きく拡大したエネルギーです。男でも女でもない、リアクションない、よくわからない。最初はあまりに大きく密度が高すぎて、少し頭痛を感じました。
イザナミさまとはまったく違う感覚です。ご一緒に旅をしたというより、この方の袂の下で動いていた感覚がありました。
多賀宮は豊受大御神の荒御魂がお祀りされています。ですが私は外宮本宮でも多賀宮でも、トヨウケヒメを感じることはできませんでした。トヨウケヒメはどこへ行かれたのでしょう?初めからいなかったのでしょうか?
一部の方がおっしゃるように、本宮はウカノミタマノカミなのかもしれません。ウカノミタマは渡来の神で、トヨウケヒメとは別だと思うのですが、どうなっているのでしょう。多賀宮はヤハウェが…という話も聞きますが、よくわかりません。日本に生まれ育つと神様が大勢いらっしゃるので、唯一神がピンとこないようです。
繰り返し反芻される想い
そんなお二方と出雲を旅して、感じたことがありました。
今回は出雲口伝を参考に、行ける範囲の土地をまわりました。すんなり行けるところと、行けないところの違いは何なのか、考えてみました。絶対ではないですが、行けないところは無念、悔恨の情や怒り悲しみが強く残り続けているところのような気がします。
うっかり行ってしまうと、カメムシの襲撃にあったりするのです。メンタルとエネルギーフィールドを乱されます。エネルギーを無駄に消費することになってしまいます。
出雲口伝の内容を見ていると、ただ平和に暮らしていただけなのに、ずいぶんと理不尽な目にあって大変だったろうと思ってしまいます。おまけに事実を変えられてしまったようですし。
そんな秘伝で口伝で一子相伝な内容が、世間に出されて時間が経ち、知る人も確実に増えているはずです。今が次へ行くタイミングのような気がします。
以前にここへ書きましたが、私の父方祖父と祖母はまったく違うルーツを持っています。祖父はルーツはサイノカミ(クナト王と幸姫)、祖母の方は鬼と宇佐だろうと思います。
2つの流れを受け継いだ父は、エネルギー的な対立関係にあった母と縁を結び、私に至っているのです。
今の時代は、そのような古いもつれや遺恨を昇華する時なのかもしれません。飽和の頂点に達したのです。次の世界へ行くためです。
永い時を経て対立していた同士であっても、混ざり合っていく。古い古い悔しさや悲しみも、後悔も全部、今いる人達(今日本に生きている人)は超えてゆく、のだそうです。
超えた方がいいでも、超えなければならないでもなく、当然のごとく軽々と超えていくことになっている。そうなっている。
今は常に先の世界の始点。
何々家の不遇の歴史、氏族間の対立、争い。それはそれとして、歴史として残しておく。それに左右されることはなくなる。
遺伝子的にも、エネルギー的にも、すべての人が混血です。ひとりの中にすべて内包することで、昇華できる、と。
『三方よし』という言葉があります。近江商人の言葉です。
『買い手よし、売り手よし、世間よし』で三方よしです。世間よし、は蓄財を社会貢献に使う。または世の中が明るくなるといった意味だと思っています。
この先は『八方よし』になっていくのでしょう。
みんなよし、地球よし、宇宙よし、全方位よし。
私達は超えていきます。
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