私はいつかはこの世から去ります。
それがいつかはわかりませんが、いつでも不思議はありません。
現にこのあいだも、ぶっ倒れた時の打ちどころ次第で、もう今いなかったかもしれません。
それより少し前、以前から入ろうと思っていた日本尊厳死協会に申し込みました。
もともと40代で全身麻酔の手術をする前に遺書は書いていて、時々手直ししながら、今も息子に預けています。
内容は引き継ぐものなど何もないので、息子が困らないように、実務的な死後の段取りが主です。
私は葬式も戒名も墓地もいりません。散骨などで地球に返していただくよう、お願いしています。
ですので、ただ死期を引き伸ばすだけの延命措置をしないのも、私にとっては自然でした。
ただ痛いのは大の苦手ですから、緩和ケアはしてほしいです。
これは「医療拒否」や「早く死なせる」ことではありません。
協会からは会員証と一緒に、『私の希望表明書』が送られてきます。そこに希望する細かなケアや、自分が大切にしたいことを書けるようになっています。
それを家族に託しておけば、自分が意思疎通できないとしても、お医者さんに理解してもらいやすいと思います。
まだまだ賛同してくれるお医者さんは少ないみたいです。これからはもっと増えていくでしょう。
日々、当たり前に生きてるのは本当にすごいことだと思います。
以前、販売の仕事もお客様も好きだけど、人的環境がかなりしんどい職場にいたんです。
そのとき唐突に「命がもったいない」と思いました。スコーンと降りてきた感じです。
命は有限だから、不愉快な使い方はしない。そう決めると、そうなるみたいです。
体があったほうが有利なこともあると思います。
体があったほうが楽しいこともあります。
体がないとわからないこともあります。
前からずっと、次はもう地球に生まれない予定でいました。
とてもとても久しぶりに、郷帰りできたらいいな〜😚
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