先日、済ませなければならない用事があり、出かける用意をしていました。
身支度をしながらパッパッと見えては消えていくのは、京都の風景。ちょっと前に幸神社へ行ったばかりなのに、そのあたりの景色が見えてきます。
(なんでなん?今日は用事あるから行かれへんよ?)
小一時間後、次々と見えてくる景色の断片に根負けして、京都行きの新快速に乗りました。
(まあいいか、ついでにこの間の本満寺さんで桜観てこよう)
また地下鉄今出川から歩きます。もう道を間違えない自信があります。

満開の桜の下を歩けるという、春の喜びです。
道路の右側は御所です。
はい、迷わず到着しました。
手押しポンプの手水舎です。エモいというのでしょうか。懐かしく、ほっこりした気持ちでいっぱいになります。

幸神社(さいのかみのやしろ)

私が参拝を終えた直後から、次々と参拝の方達がいらっしゃいました。
団体さんではなく皆さん別々みたいでした。年配の御夫婦らしき方から、おひとりさまの若い男子まで続々と。なので今回写真少なめです。
前回はお一人しか合わなかったのにね。ちょっとびっくりでした。観光マップのルートとかになってるのかな?
さて、では本満寺さんへ桜を愛でに行きましょう。
ずんずんと歩いていくと、見覚えのある土塀と門が…
(あれ?ここ相国寺さんやんな?????)
まさか!と思って地図で確認したら、見事に方向を間違えてました。これが方向音痴の平常運転です。
もう戻る元気はなく、相国寺の中を通り抜けさせてもらって、今出川の駅まで戻ることにしました。
若い頃はしょっちゅう通り抜けさせてもらっていました。そのころはまだ美術館がなく、もっと鬱蒼とした雰囲気だったように思います。
途中で弁天社にご挨拶です。

↓この鐘が何とも言えない良い音でした。まさに妙音です。何回も鳴らしたいのをぐっと我慢。

弁財天縁義

『元々は御苑内の久邇宮邸に守護神として奉祀されていたが、明治13年に宮家が東京に移転された時に相国寺へ寄進された。
頭に宇賀神を頂く弁財天で穀物の神転じて福の神として、芸術の神として広く信仰を集めた』

今の米不足(計画的)、米価格高騰を憂いておられるのではないでしょうか。
ちょうど今年は巳年でもありますし、ご顕現を心よりお待ち申し上げております。
その近くに粋なお稲荷さんがいらっしゃるようです。

宗旦稲荷の由来
江戸時代の初め頃、相国寺の境内に一匹の白狐が住んでいた。その狐はしばしば茶人千宗旦に姿を変え、時には雲水にまじり坐禅を組み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していた。
宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびであったが、ある時、宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露していた。驚いたことにその点前は実に見事なもので、遅れてきた宗旦は、その事に感じ入ったという。これも、宗旦の人となりを伝えた逸話である。(中略)宗旦狐は店先から油揚を盗み、追いかけられて井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられている。化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養した。それが今でもこの宗旦稲荷としてのこっている。

興味深いお話です。
で、肝心のお社の写真は撮り忘れました。相国寺さんのサイトで見ることができますので、そちらで御覧ください。
このあと、相国寺を出てから妙なことがありましたので、次回書こうと思います。
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