2日目は出雲市内にお出かけしました。
ホテルの窓から見た朝の出雲市駅南側です↓
スーパーホテル、ホテルα-1、見切れてますがその右に東横インと、JR駅前3点セットがございます。
スーパーホテルに密接したグレーの建物はドーミーイン出雲です。前来たときはなかった。2017年オープンなのだそうで、もしかしたら前回の出雲旅から10年ぐらい経ってるのかもしれません。
私は今回もお世話になった、出雲グリーンホテルモーリスがお気に入りです。朝食を軽く済ませたい方はおすすめかも。
毘売塚補足
2日目の出来事を書く前に、前回の「毘売塚」について補足をしておきたいと思います。
迷った挙げ句、書かなかったのですが、やっぱり書いておこうかなと。
毘売崎伝承
語臣猪麻呂の娘が毘売崎という海岸を散歩していると、和鰐(サメ)に噛まれて亡くなってしまった。あまりに嘆き悲しんだ父親は、天地海の神々、出雲のすべての社、ありとあらゆる神に祈りを捧げ敵討ちをさせてくれるよう願った。
すると百匹あまりのサメが一匹を取り囲むように現れた。父親はその一匹を鉾で刺し、切り開くと娘の脚が出てきた。さらに切り裂き、串刺しにして、道のかたわらにさらした。
安来の「月ノ輪神事」は、亡くなった娘の慰霊祭が起源だと言われている。
私が毘売塚を知るきっかけは月ノ輪神事でした。
兎の文字が書かれた三日月型の行灯は、鉾にさしたサメを表しているとか。兎はどこから来たのでしょう。
幟にある「賀茂大明神」「糺森大明神」は、京都の賀茂別雷神社と賀茂御祖神社を連想しますが、何故?
それは安来に加茂神社、糺神社があるからでした。どういう経緯で当地にあるのか、詳しいことはわかりません。
これは私のただの妄想ですが、娘さんを殺めたのはサメということになってますが、海からやってきた他の土地の人のような気がします。父親は人を使って犯人を探し、連れてこられた男は…身代わりだったのかもしれません。愛娘のためなのか、自らの怒り悲しみを癒やすためなのか。父親の残虐性を見ていた娘の御魂はどう思ったのでしょうか。
毘売塚は古墳の上にあり、調査では舟形石棺内に壮年男性の人骨1体が納められていたそうです。石棺の内側は丹塗りで、鉄剣など複数の埋葬品が棺の内外にあったということです。
なんとなく、娘さんと石棺の男性はあまり関係ないのかなと感じます。
同行の(見えない)御婦人は黙して語らず。心地よい風に2匹の黄蝶がフワフワと舞っているだけでした。
社家通り
さて2日目。通勤通学の時間帯が過ぎたのを見計らって、バスで出雲大社方面へ向かいます。
バスの車窓から見る街は、新しいお店、新しい家が増えていました。でも、杵築の大社が近づくにつれて、以前とあまり変わりない景色になり、懐かしさが込み上げてきました。
出雲大社バスターミナルで降りたら、大社の前を通り過ぎ、社家通りを歩きます。
美しい風景です。電線ありませんね。
大社の前は朝っぱらから人で溢れかえっているのに、こちらでは地元の方おひとりとすれ違っただけでした。
静かで、暑いぐらいの快晴で、何も言うことがありません。喧騒から離れてどんどんリラックスしていくのに、集中力というか感覚の密度はどんどん濃くなっていきます。
少し歩くと見えてきました。
ここを奥へ。
その先には、神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのやしろ)が鎮座します。
命主社(いのちぬしのやしろ)とも書くそうです。
御祭神は神皇産霊神(かみむすびのかみ)
今回出雲を訪れてはじめて、神魂もカミムスビと読むのだと知りました。出雲国風土記では神魂命と書かれているそうです。神魂神社も同じ字で、こちらはカモスジンジャと読みます。御祭神は伊弉冉(いざなみ)大神です。
実は、謎の婦人会の(見えない)おひとりは、内宮・月讀宮のイザナミ様エネルギー的何かです。これをなんと表現すれば一番的確なのか、うまい言葉が見つかりません。
で、なんで出雲に行きたいのか、あるいは私を出雲に行かせたいのか、よくわからなかったのです。
ですがここへ来て、ぼんやりとわかったような気がしました。
高級電気風呂のようなピリピリ感に包まれ、頬の下から上へパリパリっと走り抜けていきました。
ここや!私を連れて来たかったのは!
余計な思念や、変なまじないなんか何も感じない。大大大好きなこの感じ!体が軽くなっていく。
こんなにきれいに守り続けてくださっている皆様に、心から感謝申し上げます。
私の中では、イザナミさまはカミムスビと同じ流れのエネルギー。何代目かのカミムスビなのかなと感じています。出雲はイザナミさまにとっても縁のある土地なのかもしれません。
さっき調べたら、カミムスビは出雲の御祖神(みおやがみ)でもあるらしいです。知らなかった。本当に無知なので、ブログ名を「ひなたを無知がゆく」に変えたほうがいいかもしれません。
奥には真名井遺跡がありました。
弥生時代の勾玉と銅戈が出土したそうです。戈=鉾?
ここはそっとしておきたい場所です。
お社の前にはステキな大木がありました。
たぶん椋の木だったと、、、
足元のツワブキもきれいでした。
次は出雲井社へ向かいます。
その途中に真名井の清水があります。
こちらもきれいに管理されていました。
ありがとうございます。
その後もお稲荷さんや登山道の入り口を左に見ながら、トコトコ歩きました。だんだん道幅が狭くなるあたりにありました。
出雲井社
御祭神は岐神(くなどのかみ)
クナト王ですよね。
出雲路社とも言うようです。京都の出雲路幸神社(さいのかみのやしろ)とつながります。幸神社は一般的には御所や都の鬼門除けといわれていますが、出雲へ向かう道の始まりだと聞いたことがあります。
猿田彦の石が祀られていますが、初めて見たとき「ちっさ!」と思いました。
それに対し、出雲井社の石は岩。まさしく磐座です。
木の後ろに岩が見えます。
後ろから見てみるとこんなです。
他にも大きな岩がたくさんありました。
お社の横に小道があり、もっと奥まで行けそうな気がしたけど、1人なのでやめておきました。
由緒書の内容はさておき、ここも落ち着いたとても良いところでした。
出雲に来てよかったなと、しみじみ思いました。
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