今日は最近のブログ記事の
と、先日の鍼治療で見た夢が、もしかしたら一続きなのかも?と感じた件をメモしておきます。
鍼の放置タイムで、あの時の妖精さんたちにお礼を言ってたんです。もちろん心の中で。以下、見えたことを治療後にスマホにメモ書きしたそのままを書きます。
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妖精さんたち、ありがとね。助けてくれてありがとう。
アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ、クニノトコタチ…
教えてほしい、名古屋のつづき。
(見えてきたもの)建築当初は白木だったであろう。今は時を経てべっ甲にグレーを掛けたような色になっている。そんな壁に囲まれた場所だ。通路なのか渡り廊下なのか、壁のすぐ隣には外の景色が見える。そこからの自然光で暗くはない。
誰かがあたふたと動き回る気配がある。神職のようだ。ということは、ここは神社か?
目の前には木箱がある。1メートル四方もあろうか、そこそこ大きい。これもまた古びた木色をしている。
何が入っているのかな。外からの風に乗って枯れ色の細い葉が舞い降りる。
またボートのエンジン音と水音が聞こえる。
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見たとおりを寄せ集めの素材で表現するのは難しいです。まあだいたいこんな感じということで。画力が皆無の人にはこれが精一杯でした。
木箱の中身も気になるけど、一番引っかかったのはボートのエンジン音と水音です。
モノトーンの夢で聞いた音と同じでした。だから関係あるのかもと思ったのです。
帰宅してから地図を見ました。名古屋の海近くで、木箱のある神社。いやいや木箱ぐらいどこの神社にでもあるやろ。そうセルフツッコミを入れながら地図をズームしていくと、目が釘付けになるところがありました。
ここは全然海じゃないのに?と不思議に思っていたら、昔は星宮社があるところが星崎岬の先端だったそうです。徐々に土砂が堆積し、後に埋め立てられて今の姿になったとか。
ウィキペディアでは御祭神は香香背男と国常立命とあります。カガセオの別名は天津甕星という星神様なのだとか。ミカボシなんてガンダムに出てきそうな名前ですね。まつろわぬ神の一柱だそうです。この方も消されたチームなのかな。
このあたりは隕石が何度か落ちてきた記録があるそうです。一部ウィキより引用します。
確実な記録としては、寛永9年8月14日(1632年)、本地村の隣村であった南野村に落ちた「南野隕石」がある。当時の様子が尾張名所図会の付録「小治田之真清水」に描かれている。隕石は「星石」として民家に保存されていたが、文政12年(1829年)、同村にある喚続社(よびつぎしゃ)[7]に寄進され、その神体になった。隕石を収められている木箱には表に「霊石」と書かれている。昭和51年8月15日(1976年)、国立科学博物館の村山定夫により隕石と同定され、「南野隕石」と命名された。現在、落下年代が分かっている隕石としては、直方隕石に次ぎ、日本で2番目に古いものである[5]。
8世紀、13世紀にもこの地方に「隕石が落ちた」という言い伝えがある。その一部は上記の承平5年(935年)と元久2年(1205年)の伝承を指していると考えられる。なお、星宮社が隕石の落下地点であるとか、隕石を神体として祀っているというわけではない。
↓隕石を見に来た人々 (尾張名所図会 附録 巻3 櫻田)
↓昔の星宮社 (尾張名所図会 後編巻3 春日井郡 星大明神社)
赤矢印の道は、モノトーンの夢で歩いていた場所と似ています。その下は畑か塩田かわかりませんが、その先は海だと想像できます。
上の引用部分に登場する喚続(よびつぎ)神社には、江戸時代に落ちてきた隕石があるそうです。
『隕石を収められている木箱には表に「霊石」と書かれている』
え?木箱?ひょんなところから木箱出てきました。
もっとも隕石は約1kgの小さなものとかで、木箱もそれなりに小さいとは思われますが。
喚続って、取次のことですよね?お取次ぎします、とかで使いますよね。
誰が、誰に、取り次いでもらうのでしょう?
話は変わりますが、新海誠監督の「君の名は。」をご覧になったことはありますか。当時とても話題になっていて、珍しく映画館へ観に行きました。少々ネタバレになりますけど、彗星が落ちるシーンが恐ろしすぎて、その後見れなくなってしまいました。素晴らしく美しい映像のおかげで?怖さ増し増しでした。以降の新海作品も見たいんだけど、見ることができません。この人知ってる。怖い。と頭のどこかで感じてるのかもしれません。
もし万が一、地球に彗星が落っこちるときは、なるべく陸地から離れた海のド真ん中にお願いします。
星が降る、というと語感はロマンティックかもですが、できるだけやめといてもらえると嬉しいです。
ちょっと名古屋まで行ってみるのもありかな。
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