先日、鍼灸院でハリの放置タイム中のことです。
うっかり寝てしまって「ブヒッ」とか言ってしまうと嫌だから、できるだけ寝ないようにしてるんです。でも特にやれることはないし、また
「アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ、クニノトコタチ」
と心のなかでゆっくりつぶやくことにしました。
すると意識が落ちてきて(逆効果)、半分寝て半分起きてるような状態になりました。
そんな感じでボーーーッとしていると、先生のお知り合いらしき方がいらして、お話されているような気配を感じました。
離れたところにいて寝ぼけてる私の耳にも、ところどころ声が聞こえてきました。関東イントネーションのきれいな声でした。
「お盆」「岡山」「さむはら神社」
そう聞こえたと思います。お盆休みに岡山のさむはら神社へ行った帰りに寄りました、ということなのかな?ぼんやりそう思いながら、さむはら神社って聞いたことある気がする。なんやったっけ?あ、なんか、この言葉忘れたらあかん気がする。覚えてられますように。
はい、すぐ忘れるんですよね。それでぼんやりと「さむはら神社」に意識を合わせていくと、見えてきたものがありました。
神社の戸が開くと、中にはもう一つ扉がありました。折れ戸の観音開きで、黒い漆塗りの枠に紗(しゃ)が張ってあるように見えました。
(これ、神社っていうより、お寺?お寺っぽくないか?)
それは仏壇の扉に似てたと思います。二枚ある扉の内側の方。紗はお坊さんの夏の法衣とかの生地で、スケスケのあれです。でもキンキラの飾りなどは一切なく、質素な感じを受けました。
そこらへんで私の記憶よ、さようなら。いつのまにか寝てしまったみたいです。
あとで検索してみたら、大阪の立売堀に同じ名前の神社がありました。立売堀と書いて「いたちぼり」と読むそうです。
君が堀で泳いでたってこと?ちがうか。もうびっくり!大阪の地名は面白いですね。
指輪の御守で有名な神社らしく、それでなんとなく聞いたことあったのかもしれません。岡山には元宮があるそうです。サムハラはとても難しい字でした。
御祭神は天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神で、三神を総称してサムハラと呼ぶそうです。
あの字の意味とか、なぜサムハラと読むのか、三神との関係とか、神社のサイトではよくわからなかったので、少し調べてみました。その中で、興味深い研究報告がありましたのでご紹介したいと思います。
国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ
「サムハラ信仰についての研究:怪我除けから弾丸除けへの変容」(pdfファイルをダウンロードして読めます)
- 内容によると、江戸時代の記録が最も古いらしく、当時はサムハラと読んではいなかったらしい
- 明治21年 四文字が日本刀の銘として使われる
- 日清戦争では護身符として利用、日清日露戦争では千人針への利用の記録あり
- 明治37年3月4日 新聞記事「不思議の四文字」
- 明治37年3月7日 新聞記事「四文字の読みは不明」
- 明治37年3月18日 新聞記事 『サムハラ』読みが登場
- 大正7年〜 サムハラ神社初代主管・田中富三郎氏、万年筆の製造販売で成功
- (年代不明) サムハラを商標登録
- 多種商品にサムハラを付け、百貨店等で販売。新聞広告を掲載
- 昭和7年頃? サムハラ信光会設立
- 昭和10年 岡山県津山市にサムハラ聖殿建設
- 昭和11年 岡山当局からの指導を受け聖殿解体
- 太平洋戦争中は弾除けの護符として、また千人針にと多用された
- サムハラ呼びが定着したのは日中戦争以降
- 昭和21年 マッカーサー指令により、神社再建(岡山)
- 昭和24年 大阪豊国神社の隣地を購入、神社建立(岡山は奥宮となる)
- 昭和37年 西区立売堀に遷座
千人針の実物写真などもあり、とても参考になる資料です。ご興味あれば一度読んでみてください。
神様でもまじないでも、兵隊さんの命を守ってくださるなら何にでもすがりたいという、戦時中の人々の気持ちが、強く伝わってきました。
サムハラ聖殿解体の経緯は特高警察の記録文ですので、それを踏まえて読む必要があるかなと思いました。
私が特に気になったのは次のふたつです。
- 「サムハラ」の商標登録
- マッカーサー指令により、神社再建
う〜ん・・・
そして、天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神との関係性は見つからずでした。
その他に興味深い新聞広告がありました。
昭和11年7月1日 京都日日新聞
(頒布所)京都駅前「丸物」二階 貴金属部
サムハラ十八金甲丸型指輪 一個 八円
などなど・・・
サムハラ信光会
丸物というのは昔、京都駅前にあった百貨店です。私の記憶にもかすかに残っています。大きな鐘があったような気がします。今のヨドバシカメラがある場所でした。丸物のあと、近鉄百貨店、そのあとヨドバシだったかな?ちょっと懐かしくなりました。
頒布品、というか商品は指輪が何種類もあり、カフスボタンやお守りもあったみたいです。当時から指輪はあったんですね。
ここからは私の勘で書きますね。
難しい字の「サムハラ」は読めなくても良かったんじゃないでしょうか。
それを書いたものを身につけることが大事で、まじない札って良く知りませんが、形に宿るように思います。
なんとなくこれって山伏さんの技かなぁと浮かんできます。
だから黒漆の観音開きが見えたのか、まったく関係ないのか、わかりませんけどね。
そのヒント、私には難しすぎるのです。
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